26th
デザインとは「わかる」とか「わからない」というレベルで語るべきものなのでしょうか。わかりやすくデザインを語るという人がいたら、ちょっと気をつけた方がいいと思っています。(僕もそんな仕事をたくさんしてきたわけですが、だからこそ……)
みんながわかること、それは善いこと。易しいことは優しいこと。「わかりやすさ」願望の背後には、常に教育的な倫理観が見え隠れしています。「わかる=いいこと」「わからない=よくないこと」であり、「わかる子=よい子」「わからない子=悪い子」です。「わかる」という言葉は、私はよい子でありたいという強迫観念を刺激します。
やさしく巧みな語りができる人なら、何となくわかった気分になった「よい子」をたくさん増やすことができます。「わかる人」が生まれるということは、「わからない人」が生まれるということです。まだ、わかりやすい話の啓蒙を受けていない人は、すべて「わからない人」となるわけです。
「わかる」か「わからない」かという線引きをすることで、「わかる人」という仲間意識と、「わからない人」という外部を発生させるのです。よい子どうしの仲間意識は強烈です。顧客になります。ファンになります。信者になります。
「5分でわかる」とか「わかりやすい」という言葉を導入する意味はここにあるのです。この仕組みは宗教の布教と同じです。本来、神や信仰や祈りは、わかる、わからないとは別次元のものなのに、布教する人はわかりやすく神の奇蹟や仏の世界を語ります。
わかりやすさのこの仕組みの危うさに気づいた人による、自己パロディ的な表現が「サルでもわかる」です。たとえば竹熊健太郎さんの『サルでも描けるまんが教室』とか。よい子のみんなはお猿さんと語って、わかること・できることで優越感を持たせて仲間意識を育てる仕組みを皮肉っているのです。
だからデザインプロダクトを売るショップに集まる人たちや企業のプランナーを相手に堂々と「サルでもわかるデザイン」を語る人がいたら、その人は本物です、きっと。